三井不動産リアルティ

Vol.49 2019 6月号

REALTY - news

いつもお世話になっております。三井不動産リアルティ REALTY-news事務局です。
早くも真夏日を記録するなど例年になく暑いこの季節、いかがお過ごしですか。
長期予報によると、6月の気温は全国的に平年より高く、逆に7月と8月は平年並みかやや低いのだそうです。
こまめな水分補給など適切な対策による体調管理が必要なようです。
それでは今月の「REALTY-news」をどうぞ。

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今月のトピックス
Topics 1 ロンドン大会に見る「オリンピック」と不動産市場
Topics 2 どうなる?東京のオフィスマーケット
Column 飯田町から飯田橋へ、江戸時代からの歴史を紡ぐ街

Topics 1

ロンドン大会に見る「オリンピック」と不動産市場

 オリンピックでは開催に向けて巨額の投資が行われます。これは不動産ビジネスにとっても短期的には明らかにプラスな訳ですが、中長期的にはどうなのでしょうか。

 都市政策という観点からも近年で最も成功したのはロンドン(2012)です。メインスタジアムはロンドン東部のストラトフォード地区に置かれました。同地区はいわゆる「イースト・エンド」と呼ばれるイメージがよくない地域にあります。「イースト・エンド」という言葉には日本の「下町」とは異なり、軽蔑的なニュアンスが含まれることさえあります。

 イギリス政府はオリンピックを起爆剤としてこの地区の底上げを図りました。スタジアムを中心に主要な競技施設を集めて整備し、「オリンピックパーク」としました。これが非常に効いて周辺には大企業やITスタートアップのオフィスや、大学、ミュージアムやシアターが移転、マンションも数千戸規模で供給され、今も各種の不動産開発が進んでいます。かつては人が行きたがらない地区だったストラトフォードは人気のエリアとなったのです。

 これを「オリンピックの効果」と言うべきなのか、「(オリンピックに伴って実施された)インフラの集中投資の効果」と言うべきなのか、分けて議論をすべきだとする人もいますが、二つは区分不可能なもののようにも思われます。

 ロンドンではオリンピック終了後に市域全体で住宅価格の大きな上昇が起きました。しかしこれはそれほど長続きせず、市場は2014年をピークとしてまず最も価格が高いクラスの住宅が売れ行きが停止、その後、本格的な価格下落が始まり、これが一般の住宅の不振にも徐々に波及していきました。2019年現在、ロンドンの住宅市場は不振の真っただ中です。

 この不振の直接的な原因はスタンプ税(印紙税・不動産取得税に類似)の引き上げやブレグジット問題への懸念等です。しかしオリンピックがなかったらもっと激しい下落に陥っていたのかどうか、実験により検証するようなことはできません。

 検証を行うとすると、数回以上のオリンピックについてその開催前後10年弱程度の期間の不動産市場の変化を調べ、さらにそれぞれの開催国における特殊事情を抽出、影響を排除した上で残った物がオリンピックによる影響だとする方法があります。

 こういった分析により、ある研究者はオリンピックは不動産市場にプラスの影響を与えた国と与えなかった国があるとしています。興味深いことに、オリンピックを機とした都市インフラの更新に重きを置いたケースよりも、オリンピックをきっかけとして国の知名度を上げて観光客や海外からの投資の獲得を図ったケースの方が、不動産市場に対して中・長期的にポジティブに働いているとしています。

ジャパン・トランスナショナル 代表 坪田 清

Topics 2

どうなる?東京のオフィスマーケット

 東京都心部のオフィスマーケットは非常に好調で、貸室面積は2002年1月の582万坪から2019年1月には750万坪に増加。空室率は2010年~2013年は8%以上と低水準でしたが、2016年には4%を下回り、直近2019年1月には2%を下回る状況となっています(三鬼商事のデータより)。

 同じくオフィスデータを公表しているCBREでも、5月発表のレポート内で“空室率は全てのグレードで低下”し、“過去最低値を更新”する等、「好調」を強調していますが、同時に『グレードA賃料については向こう1年間で0.3%上昇するものの、その後の1年間では約5%の下落を予想する』という記述があります。賃料下落の理由は、2020年まで大型ハイグレードビルを中心に大量供給が継続する見込みであること(2018年の新規供給約25万坪、2019年は例年並みの20万坪前後だが、2020年は17年ぶりに30万坪を上回る新規供給が予定されている)。このため、供給過多が懸念され、募集賃料を控え目に設定する既存ビルが増えることが、賃料上昇を押し下げるのではないかというものです。

 ところが、今回と同じように供給過多が懸念されていた2003年の大量供給後は空室率の低下(改善)が進んでいて、今回もマーケットには大きな影響が出ないと考えることも可能ではありますが、現在の状況は当時とは大きく違っているため、安心できる状態ではないようです。

 その要因の一つが『働き方改革』です。最近、都心の大規模オフィスのお得意様はeコマースなどのIT関連企業ですが、IT関連企業や大手メーカーなどの大企業では、既にフリーアドレス型のオフィス環境開発が始まっており、今後は“通勤しない働き方”に移行する可能性が強く、結果、大型オフィスを必要としなくなる可能性が高まっています。

 もう一つが『2020年以降の経済の落ち込み』です。各種報道などにも取り上げられていますが、公共工事など工事需要の先食いの影響で、一時的に不況に落ち込むリスクも少なくはなく、同様に経済の低迷を見込む必要もあるでしょう。

 働き方改革によるオフィスの使い方の変容が見込まれる中で、2020年に向けての大量供給とその後の不況が同タイミングで発生することを考えれば、空室率の上昇や賃料水準引き下げなど厳しい状況になると予測するのは、正しいのかもしれません。これからは新たな需要の開発が必要とされるのでしょう。

株式会社 工業市場研究所 川名 透

東京主要オフィスエリアの貸室面積&空室率推移


Column

飯田町から飯田橋へ、江戸時代からの歴史を紡ぐ街

明治中期の九段坂 国立国会図書館蔵

明治中期の九段坂 国立国会図書館蔵

 「飯田橋」駅は、JR中央・総武線、東京メトロ東西線・有楽町線・南北線、都営大江戸線の6路線が乗り入れ、日々多くの人々が他路線へと乗換えるターミナル駅です。今では「飯田橋」駅であり、町名も飯田橋一丁目から四丁目ですが、かつての駅名は「飯田町」。街の名も飯田町でした。町名の由来となったのは江戸開府より少し前の天正18年(1590)。江戸入城した徳川家康が城周辺の視察でこの地を訪れた際、飯田喜兵衛という農民が案内を務め、丁寧な案内ぶりに感心した家康は喜兵衛を名主に任命し、この地を飯田町と称するよう命じました。

 江戸時代、城の外堀の内側に位置する飯田町は、旗本屋敷が立ち並ぶ武家地となり、元禄の頃までは城の料理を賄う台所衆の組屋敷もここにありました。現在の九段北一丁目、九段坂と冬青木坂の間にある飯田町中坂通り沿いには商家が並び、『南総里見八犬伝』で知られる戯作者・滝沢馬琴が入り婿をしたのがこの坂下の下駄屋でした。

 明治を迎え武家屋敷は無人となる一方、明治初年には外堀に簡易な木製の橋が架けられ、街の名を取り飯田橋と名付けられます。明治14年に土居が堀切られ車が通行できる橋となり、その後の改修を経て、現在も使われているコンクリート製の橋は、昭和4年に架け直されたものです。

明治28年、新宿・八王子を結ぶ甲武鉄道(現:JR)「飯田町」駅が開業。昭和3年に「飯田町」駅と「牛込」駅が統廃合され、飯田橋のたもとに誕生した新駅は橋の名から「飯田橋」駅と名付けられました。街の名が飯田町から飯田橋へと変わったのはさらに時代を重ね、住居表示が実施された昭和41年のことでした。

昭和39年に東西線、昭和49年に有楽町線、平成8年に南北線、平成12年には大江戸線が開業することで「飯田橋」駅はターミナル性を高め、交通の要衝となったのです。

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