いつもお世話になっております。三井不動産リアルティ REALTY-news事務局です。 夏の訪れが陽射しに感じられるこの季節、いかがお過ごしでしょうか。 この時期おいしいのが「枝豆」。この枝豆に含まれる「メチオニン」が アルコールの分解を促し肝機能の働きを助けるため、まさにビールにぴったりの一品というわけです。 それでは6月の「REALTY-news」をどうぞ。 |
♯1 香港のタイクーンたちの事業承継 ♯2 外環自動車道千葉県内開通!物流業界マップ激変の可能性も? Column 鉄道の発達と学校の進出が原点となり、市街地化が進んだ街・池袋 |
超高齢化が目立つ香港のタイクーン(大君・財閥の総帥)たちもそろそろ、という話が出ています。もっともこの話は過去に何度も出ているので、今回もまた彼らが元気に長生きする可能性もあります。年齢をものともせずいまだに陣頭指揮を取っているタイクーンが多いことと、彼らのほぼすべてが不動産がらみの財を成している事が香港の特徴です。 最も有名なタイクーンはなんといっても李嘉誠(リ・カーシン・89才)ですが、グループの旗艦・不動産会社のCKアセットほかの会長の座を長男のビクター・李に譲ると3月に発表しました。CKアセットは旧称の「長江実業」の方が知られています。東京駅そばのパシフィックセンチュリープレイスを手掛けた弟のリチャード・李の方が日本では有名ですが、長男が後継というのは順当なところでしょう。 もっともこれで代替わりがうまくいくかどうかは、不明です。こればかりはやってみないと分かりません。プライベートバンクが発達しているヨーロッパやアメリカと違って、華僑の間には生前に「事業承継計画書」を準備しておくという風習はないのです。またオープンに後継者問題の話をするという文化でもありません。 大手デベの新世界発展の創業者会長だった鄭裕トウは86才だった2012年、現職のまま脳出血により倒れ、4年間の昏睡状態の後に不帰の人となりました。 デベ最大手の新鴻基地産では代替わりの後に3人兄弟のうちの2人が贈賄で起訴され、一人が有罪、一人が無罪となる事件が起きました。これも何らかの形で事業承継に問題があったのでしょう。 マカオのカジノ王のスタンレー・ホ(96才)は公認の妻が4人、子供が17人です。非公認の人数は本人も含めて、誰も分からないでしょう。先の鄭裕トウと同様にバタッと行くまで現役を貫き、そのあとに大混乱が起きるのではと懸念されています。4月に旗艦会社のSJMホールディングスについて娘と夫人が共同会長となって後を継ぐと発表、これを受けて同社の株価は11%の急騰をしました。スタンレー・ホ亡き後の混乱が小さくて済むのではとの期待感からですが、見通しがあまいという気がします。 実際、香港、シンガポール、台湾で上場する同族企業の場合、世襲前の5年間に比べて世襲後の3年間の株価は平均、4掛けに下落するのだそうです。 |
ジャパン・トランスナショナル 代表 坪田 清 |
平成30年6月2日、東京外環自動車道の三郷南~高谷(市川)、約16㎞の区間が開通しました。今回の開通で東関東道、常磐道、東北道、関越道の4つの放射道路が接続され、東関東道から関越道、東北道、常磐道への所要時間が約18分~26分短縮できる等、成田空港、羽田空港へのアクセス、豊洲・築地などの湾岸エリアへのアクセスも向上。物流の動きが大きく変わることが予見されます(特に空輸便発着の多い成田とつながるのは非常に大きい)。 同時に、物流施設の立地と役割が大きく変わっていき、具体的には国道16号エリアの「ハブ化」…大型の車両が持ち込み、施設内で配送地域別に仕分けする拠点化…が進み、圏央道エリアに近い形態=大規模拠点化が進むものと考えられます。 一方、外環道エリアは、都心湾岸部へのアクセスが向上したことにより、都心の物流の最前線にある東京ベイエリア同等の機能を有する施設の必要性が高まります。但し、外環道周辺は既に開発が進んでいることもあり、需要に供給が追い付かなくなる可能性が高く、空室率の低下と賃料水準の上昇が見込まれ、この影響から、外環道開通によりアクセスしやすくなった東関東道に新規開発が広がり、千葉県内の物流施設マーケットは大きく動くと考えられます。 さらに、東京ベイエリアの物流施設もまとまった面積を確保することが困難な現状にあり、唯一東京ベイエリアで2018年に竣工が予定されている「ダイナベース」も既に満床という情報もあることから、施設の取り合いは加速。今後はより一層のサテライト化=小型多機能化が進み、小規模多機能&高単価がトレンドとなりそうです。 今回の外環道の千葉県内開通により、これまでの圏央道エリア=大型物流施設、国道16号エリア+外環道エリア=都心(湾岸)エリアの“ハブ”施設、東京ベイエリア=小回りの利く多機能対応型施設といった図式から、圏央道エリアと国道16号エリアで“ハブ化”が進み、外環道エリアと東京ベイエリアで多機能対応型施設化が進むといった変化が予見され、施設の2極化が進むことで、業界の地域と役割の関係が大きく変わるのではないかと考えています。 |
株式会社 工業市場研究所 川名 透 |
フランク・ロイド・ライトらの設計による自由学園明日館 今やサブカルチャーの発信拠点としても知られる池袋は、JR・私鉄・地下鉄併せて8路線が乗り入れるメガターミナルを擁する街です。1日の乗降客数はなんと世界第3位。日夜数多くの人々が行き交うこの街も、江戸時代は原野の中に点々と農家が佇む鄙びた郊外地でした。そんな池袋が発展への一歩を踏み出したのは明治時代を迎えてのこと。 明治18年、日本鉄道(現:JR)が東海道本線の品川駅から、渋谷・新宿・板橋を経由して東北本線の赤羽駅を結ぶ品川線を開設。その際、池袋には信号所のみが設けられ、約20年後の明治36年、池袋-田端間を繋ぐ豊島線の開設によって池袋駅が誕生しました。当時の池袋駅は原野の中にぽつんと建つ駅で、1日の駅利用者は数えるほどだったそう。後に日本鉄道が国有化され、明治42年に品川線と豊島線をまとめ、山手線と称されることになりました。 大正時代に入り、3年には東上鉄道(現:東武東上線)、4年には武蔵野鉄道(現:西武池袋線)が開業します。とは言え駅周辺の開発はまだまだ。東京府豊島師範学校や立教学院(現:立教大学)、成蹊実務学校(現:成蹊大学)、自由学園が当地に進出してきたのも、未開発の土地が多かったからに他なりません。学生や父兄などで駅の利用者が増加し、街は学生街の様相を整えていきます。 そして駅周辺の商業地化、駅近くまでの住宅地化が急速に進むきっかけとなったのが、大正12年に起こった関東大震災です。城東地区から多くの人々が池袋周辺へと移り住み、さらに大正14年に山手線が現在のように環状運転を開始したことで鉄道の利便性がより高まり、さらなる人口流入へと繋がっていきました。 ところで、江戸時代の池袋村から現在の池袋へ。「袋のような盆地状の窪地に多くの池があった」という地形から、自然に池袋と呼ばれるようになったとか。近代化とともに池は次々と姿を消し、最後まで池跡を留めていた丸池も戦後には水が涸れてしまい、元池袋史跡公園にその名を残すばかりとなっています。 |
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